【ひとりの日本人が見た】フィリピンのロックダウンまで!新型コロナ

 

こんにちは、フィリピンのスービックの語学学校でインターンとして働いていたSakpirka(サクピリカ)です。

2月のフィリピンの状況、そしてロックダウン中の語学学校の先生と元同僚のフィリピン人に聞いた状況をまとめました。

私は3月末に帰国する予定でしたが、3月はじめに急遽日本へ帰国しました。

2月に入り新型コロナウィルスの影響が深刻になり、オーストラリア人彼とオービザの申請の手続きを早めるため、日本へ帰ることにしました。

想像できないほどに刻々と状況が変わりました。

短期間で航空券を2回取り直しなくてはならないほど、身動きが取れなくなっていきました。

3月末→3月中旬→3月初旬

どこでこの状況(クライシス)を迎えるかが大事だと思い、日本にいることを選びました。

オーストラリアには全く行けそうにないですが、StayHomeで頑張りましょう。

 

私が感じた2月フィリピンの状況

 

2月の感染者の報告は、3人でした。

語学学校ではこんな会話が繰り広げられていました。

 

語学学校にて

フィリピンは暑いから新型コロナは流行らない。

季節だけに流行るインフルエンザのようなものだから。

 

状況を楽観的に考えて、安心していました。

1月に在籍中の生徒さんと新型のウィルスが流行っているらしいと話をして、そこで初めてパンデミックという言葉を聞きました。

 

2月は毎週末、日本からの生徒のお出迎えで首都マニラにあるニノイ・アキノ空港に行っていました。

空港は2月初旬に比べて、2月最終週には空港にいる乗客がどんどん減っていきました。

空港にはだいたい2-3時間待機しているのですが、その間に見た人の半分くらいの人がマスクをつけていました。

約8ヶ月の間マニラ空港に通っていましたが、こんな静かなマニラは見たことありませんでした。

マニラから語学学校までの道のりは、マニラで渋滞に巻き込まれて時間がかかるのですが、2月は渋滞になる程の交通量がありませんでした。

クラーク空港も同じような状況で、人は少なかったです。

そして、2月から大きなショッピングモールやどこのお店でもマスクは手に入らなくなりました。

でも、アルコール消毒の液やジェルはいつものように売っていました。

フィリピンではアルコール消毒は必需品なので、日頃からたくさん売っているおかげでなくなっていませんでした。

2月から少しずつ街の様子が変わっていって、3月に急転換を迎えました。

 

3月初旬 フィリピンから帰国の様子

 

3月初旬、飛行機は特に運休することなく運行していました。

クラーク国際空港から関西国際空港で帰国しました。

クラーク空港では、体温を測ったり、問診などはありませんでした。

20キロの荷物と機内食をつけて、7000円台の航空券で破格でした。

(当日、機内食はありませんでした。)

留学生らしき日本人とフィリピンで働いている日本人が数名くらいで、機内は本当に空いていました。

 

関西国際空港に到着。

発熱はあるかなどの問診や記載する用紙はなく、行動の制限などはありませんでした。

念のため大阪の受付がないアパートを予約し1週間滞在して、地方へ帰宅しました。

2月に何度かマニラに行き、街に変化があったせいか危機感が強くなっていました。

大阪出身ではないのでいつもの様子はわかりませんが、まるでいつも通りかのように見えて違和感がありました。

 

3月 マニラ封鎖とルソン島ロックダウン

 

フィリピンの対応はとても早いのですが、発表後に撤回などもあり、現地では混乱が生じていました。

 

ルソン島の主な対応

 

・マニラ首都圏移動制限

外出制限(朝8時から夜5時までの門限):2020年3月15日(日)~4月14日(火)まで

*のちに4月30日まで延長となりました。

マニラに続いて、ルソン島全域も対策が発表されました。

・「強化されたコミュニティー隔離措置(Enhanced Community Quarantine)」を実施

(3月17日から4月13日までの期間:のちに4月30日までに延長)

厳格な自宅隔離措置、公共交通機関の停止、スーパーや病院などを除いた商業施設や公共施設の業務停止が実施されました。

・外国人の入国不可に

3月22日より、ビザの査証停止となり、フィリピンへ入国することができなくなりました。(フィリピン国籍の方、フィリピン国籍の方の配偶者及び子を除き)

 

私が在籍していた語学学校も、マニラのロックダウン後のルソン島全域のロックダウン、それに伴い学校の休校、72時間以内の空港封鎖の宣言と目まぐるしい状況の変化があり、在籍していた日本人生徒は急遽卒業して帰国の対応になりました。

外国人は72時間以内に帰国か、残る場合は4月12日までフィリピンを出国できない。

すごい宣言だ。。。

発表の翌日、72時間以内の出国の方針は撤回されました。

 

いきなりの卒業と帰国。

交通機関はストップしているので学校の送迎車でマニラまでは行けますが(有効な飛行機のチケットを持っているとマニラ空港へ行くことができる)、

問題は飛行機を取れるのか、乗り継ぎの場合はその国で乗り換えが許可されているのかと急に選択肢がなくなりました。

勉強するぞ!と意気込んで留学したり卒業間近っだったり、この状況では仕方のないことですが、とても悲しい決断だったと思います。

何かできることはないかと思ってブログを書いてみましたが、留学を諦めないでまた頑張ってほしいです。

急にワーホリ・留学に行けなくなったあなたへ【心の整理法】

2020年3月21日

 

4月 ロックダウン中

 

語学学校の先生とスタッフは急に職がなくなってしまいました。。。

 

オロンガポという地域では、3月27日から24時間ロックダウンになり、より厳しくなったと語学学校の先生が話していました。

27日より前は、門限が朝8時から夜5時まで外出が可能でした。

 

フィリピン人スタッフ

今のところロックダウン開始日から2ヶ月ほど、食料は大丈夫そう。

各支払いは待ってもらっている状態だけどね。

政府の支援は、3キロの米、1パックの麺、インスタントコーヒー・1缶のコンビーフ。

階級がミドルクラスのため、政府からの援助金はもらえないんだ。

アベノマスクについては、ニュースでみて知っているよ。

 

貧困層に援助金の給付がありますが、ミドル層には現金の援助はまだ届いていないようです。

ロックダウンが2ヶ月続いたら、ミドル層も危ないとも言っていました。

 

フィリピン人先生

買い物に行けるのは、家族の代表者ひとりのみ。

配られた食料は、2キロの米、2パックの麺、イワシ缶が2つ。

外出制限に背いた人が警察に捕まって、1日牢屋に入れらてしまった。

 

 

フィリピン人スタッフ

近所で食べ物がなくて空き巣に入ろうとして、木に登って落ちて、電線に接触して亡くなってしまった人がいたよ。

飢えは深刻な問題だと思う。

 

治安の悪化も心配ですね。

*先生やスッタフから聞いたことをまとめているので、実際ローカルニュースになっているかは確かではないです。

 

世界中のみんなそうだとは思いますが、先の見通しがつかず、持ち堪えていますが不安が大きいです。

みんな口を揃えていうのが、新型コロナウイルスで亡くなるより飢えでなくなってしまう人の方が多くなるのではないかということです。

 

ロックダウンが終わって留学生が戻ってくるまで相当な時間を要すると思いますが、

まずフィリピン国内での状況コントロールができることを祈るばかりです。

 

以上、ひとりの日本人が見たフィリピンのルソン島ロックダウン状況でした。

 

さいごに

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また次回お会いしましょう。

 

StayHomeで誰かが救えるのなら、さらにブログを書いて誰かの役に立とう!

なんてカッコよく言ってみたが、このブログは留学とかワーホリとか海外旅行の情報なので、ほとんどみている人はいないかったのでした。笑

いつも三日坊主の私ですが、またみんなが世界へ行ける日がきますようにと祈って、その時が来るまで記事を更新していこうと思います。

真面目に書いてしまったので、最後にひとつ「和み」を!

 

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ABOUTこの記事をかいた人

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北海道にある人口たった1000人の自然豊かな村で生まれ、12才の時にカナダ留学し海外生活に憧れはじめる。30才手前にやっぱり海外に行きたいと思い5年勤めてた会社を辞め、オーストラリアとニュージーランドでワーホリを経験。フィリピン・オークランドに短期留学し、フィリピンの語学学校でインターン。 海外経験を通してコンパクトに生きることに興味を持った30代ミニマリストが、少ない労力で豊かに生きるための情報を配信中。 考察やイヤスミ大好きなので映画などの作品を紹介しています。